アメリカぐるっと一周:2000年春

2000年4月12日 DAY 2

昨晩は頑張って9時半まで起きており朝4時頃目が覚めるようしたが、やはり2時には目が覚めてしまう。

I-40の入り口がすぐなので夜間走行も大丈夫と判断し5時に出発。カリフォルニア州境で夜明けになるようにとの思惑も有る。 朝の気温は16度と肌寒く、フリースの上下とゴアテックスのグラブを装着。

I-40をひたすら西に向かう。6時過ぎにカリフォルニア州境に着くと、ぴったりのタイミングで朝日が昇り始める。バックミラーに映る朝日を見ながら走る。

カリフォルニアに入って80マイルほどのI-40の右側にMojaye Desertがあり、Devils Playgroundという物騒な地名があるので、I-40をおり砂漠に入る。 この道は一般道であるが、最も舗装のレベルの低い道で大丈夫かなと案じていると。 ハイウエイポリスが停まったので、「舗装は大丈夫」と尋ねると、「多少曲がりくねっているけど問題無い」との返答。

取り敢えずの目的地がデスバレー(死の峪)なので、この道を使うと近道になる。只、既に230マイル走っており、次の給油地であるI-15上のBakerまでガスが持つか心配。 ポリス曰く、「ガス欠になったら近道にならないよ」。 おっしゃる通り。 「ショートカットじゃなくロングカットだね」と私。

Bakerまで57マイルなので、押さえて走れば大丈夫だろうと判断し走り始める。 250マイル位でリザーブになるかなと考えていたが、なんとBakerについて282マイルになってもガス警告灯は点かなかった。 この区間、なんと前にも後ろにも車がまったくいなかった。対向車が何台来るか数えるつもりだったが、Bakerまであと5マイルになっても1台も来ない。 最後の最後になってようやく1台きた。 結局57マイル区間中見た車は1台だけであった。 こんな所でスタックしたら地獄だ(実際に3時間後に起こるとは夢にも思わない)。

給油後カリフォルニア127号でデスバレーに向かう。 荒涼とした風景が広がるが道は良く走り易い。 速度制限は対向2車線だが65マイル。

カリフォルニア190号に乗り継ぎデスバレー内に入る。 ここは20年程前にカワサキのKZ1000で来た時は国立公園ではなかったが、1994年に公園に指定されていた。

幾つかのポイントを見て、ビジターセンターにある博物館を見学した後、今日の投宿予定地Bishop(ヨセミテ国立公園の近く)に向かう。 今後、色々と国立公園を尋ねる予定なので、全ての国立公園に入場が1年間有効なGolden Eagle Passport(50ドル)を購入する。 一回毎の入園料が10-20ドルなので数個所行けば元が取れる。 ちなみにこのパス20年前は20ドルだった


ビジターセンターから北に10マイル程走った時それは起こった。 突然、バイクがぐらぐらと揺れだし、後輪がぶれ始める。 「何事か」と一瞬あせるが、早速状況分析。 まず路面をにらむがぶれが出るほどの荒れは無い。 となると考えられるのはパンクである。

時刻は午後2時で一番暑い時間帯。 「デスバレーでパンク修理か」とうんざりするが、取り敢えずはハンドルをホールドしながら慎重にバイクを停める。 路肩の砂が深く仕方なく車道の端にハザードを点けて停める。調べ始めるとパンクはしていない。

後ろから見てみると後輪が歪んでいる。 センタースタンドを立てて調べると、なんと後輪が今にも外れそうである。 後輪を留めている4つのボルトが緩んでいるのでこいつを締めれば解決かなと作業を始めるが、幾ら回しても一向に締まらない。ぐるぐる回り続けるだけである。 軸の中の問題で手におえないと判断。

さてどうするかと考えるが、まずフェニックスのバイク屋に電話をすることである。 幸い店が閉まるにはまだ時間がある。 ビジターセンターまで戻る為の車をヒッチする。

最初にきたボルボが停まってくれビジターセンターまで戻る。 カリフェルにアの海岸に近い町から来たというトニーは親切にも「しばらくこの当たりをうろうろしているからなにかあったら呼んでくれ」と言ってくれる。

案内のパークレンジャーに「緊急事態(デスバレーのレンジャーにとっては日常茶飯事であろうが)なので、フェニックスに電話をしたいがどうすればかけられるか」と尋ねると「さあ」と首を傾げている。 「公衆電話からかけると幾らくらい」と聞いても「かけたことがないので解らない」と全く役に立たない。

挙句に「君は公園入場料を払ったか」と聞くので、「さっきここに立ち寄った時あなたに払ったでしょう」とパスを見せると、「ああ、思い出した」と冗談じゃない。 「そうだコレクトコールでかければ良いのだ」と思いつき早速電話をする。

バイク屋のフランクは「もしかすると結構厄介な問題かもしれない。早速近くの牽引屋と連絡をつけるので、取り敢えず今晩の宿を近くに確保してくれ」とのアドバイスだったので、車で拾ってくれたトニーが予約をしているビジターセンター近くのリゾートを当たってみると幸運にも部屋があった。

但し宿代は141ドルとニューヨーク並の高さ。 部屋で待機しバイク屋のフランクからの指示を待つ。 すぐに電話が鳴る。

フランクからで「そこから60マイル程のネバダ州のPahrumpの牽引屋が今そちらに向かっているので、着いたらバイクを積み込みヒロシも一緒にPahrumpまで行き、翌日ラスベガスのBMWデイラーで修理をするように」との指示だったが、「部屋を取って既にシャワーも使っちゃったよ」と言うと、「ホテルのマネージャーと交渉し半日料金が可能か交渉してみて」とのアドバイスだったのでトライしてみる。

駄目で全額払っても電話が使えただけでも良かったと考えながらマネージャーと交渉すると「半日料金(半額)で良い」とのことで、「牽引屋が来たら一緒にPahrumpに行くよ」とフランクに電話し、しばし部屋で待つ。

部屋をノックしたのは、スタンハンセンみたいなお兄ちゃん(スチーブ)。 「今日はあんたのバイクともう一台の車を一緒に運ぶよ」とのこと。早速バイクを取りに行く。 トラブル後約3時間なので迅速な対応である。

バイクのそばにポリスの様な車が停まっている。 良く見るとパークレンジャーである。「道にバイクを停めちゃ困るなあ」とさかんに文句を言う。 「路肩は砂が深くやむを得ず道の端に停めた。緊急駐車のフラッシャーも点けていたでしょう」と説明すると、「じゃあ本当に路肩に停められないかやってみてくれ」とうるさいので、スチーブと路肩でセンタースタンドを立てると、ズブズブと沈み込んで今にも倒れそうになる。「駄目でしょう」と言うと、ぶつぶつ言いながら電話で多分上司に指示を仰いでいる。

結果は「もう二度と道路に停めるな」とのお叱り。 よほど、「他にどの手が打てる。レンジャーは利用者の便宜を図るのが仕事だろう」と言ってやろうと考えたが、まあ、役人堅気の石頭と喧嘩しても始まらないと押さえる。

レンジャーが行った後、スチーブが「ああいう奴は困ったものだね」と慰めてくれる。 その時、路上に置いておいたヘルメットが無い事に気づく。 「やられた」と思い他の荷物を調べるが大丈夫な様で一安心。 パソコンと万一貴重品袋を無くした時の為に別にしまっておいたクレジットカードもちゃんと有る。 賊はヘルメットだけを失敬し荷物には手をつけなかった様である。

しかし、冷静に対応したつもりだったが、ヘルメットをロックしなかったのはうかつであった。 サイドとトップケースもロックをしていなかったので、最悪の場合は荷物もそっくりやられていた。


スチーブと協力してふうふう言いながらようやくバイクをトラックに積み込む。


こういう時のK1200LTは最悪である。Pahrumpに着きカジノホテル(ネバダ州なのでホテルは皆カジノ)に行くがいっぱいとの事。 もう一件のホテルも駄目。 故障した車のお姉ちゃん2人と「困ったなあ」。 結局、牽引屋の知り合いの家に空いている部屋があるというのでそこに世話になる。

泊まった家には年配のボブが独り暮らし。 「お世話になります」と挨拶した後は、シャワーを浴びて早々に寝る。

トラブルのあった今日は、朝の5時から昼の2時までで324マイル。